(205)花村太郎『知的トレーニングの技術』
(JICC)(1) 花村太郎ノート
・1947年生れ。早稲田大学、都立大学大学院卒業。
言語学・記号論をひとつの極に、経済学を他方の極において
社会・文化・思想の世界と人生のあらゆる事象を
「読む」ことを知的課題としている。
・主な著作は次のとおりである。
1982年『知的トレーニングの技術』(JICC)
1998年『思考のための文章読本』(ちくま新書)
2006年『嫌老社会』(ソフトバンク新書)
(2)いちばんお世話になっている本
生涯でいちばんお世話になっている本である。
なぜこれまで紹介しなかったかというと、
「文庫で読む400+α」の文庫定義に該当しないからだ。
花村太郎『知的トレーニングの技術』は、
三省堂『新明解国語辞典』などと並べて、
いつも目の前においてある。
本書が書評で取り上げる新書・文庫版になってくれることを
願いながら、ひたすら年を重ねてしまった。
私の著作(山本藤光という筆名)では、
何度も紹介させてもらっている。
セミナーの講演でも、本書はスライドで紹介させてもらっている。
対象版型ではないので、おきて破りなのだけれど紹介することにした。
どこの出版社も軽装版に踏み切ってくれないから、
拙文でアピールをかねることにする。
花村太郎『知的トレーニングの技術』は、書店にはない。
古書店でもなかなか見当たらないし、
アマゾンの古書コーナーでも高値がついている。
そんな本を紹介するのは恐縮なのだが、
どうしても書いてみたくなった。
花村太郎に関する情報も、とんと見当たらない。
ネット検索すると同名の人が出てくる。
おそらく本人ではないだろうと思う。
私が知っている限り、花村太郎は筆名で、
本名は長沼行太郎。都立高校の国語の先生をしながら、
近代文学、文章論、メディア論の研究を重ねた。
花村太郎の名前では、
『知的トレーニングの技術』しか見当たらない。
本名の長沼行太郎では、前記の著作を上梓している。
ただしテーマが限定されているので、
『知的トレーニングの技術』ほどのインパクトはない。
『知的トレーニングの技術』は、「
志を立てる」「人生を設計」するからはじまり、
「読み・書き・考える」技術に触れている。
冒頭の部分を紹介しよう。
――情報のメモ魔・整理魔になってデータの山にうずもれ、
しまいには何のための情報整理かわからなくなってしまう
――知的ノウハウの最大の弊害がこれで、
はっきりいってこれは、情報整理ごっこでしかない。
永遠に準備体操をつづけるようなものだ。
たとえば、コンマ1ですむデータに、
コンマ3までの情報を求めることは無駄である。
この計算に要した時間はまったくの空費だ。
(イントロダクションより)
本書は赤線にまみれている。
もう何度も読み、そのつど感動を新たにしている。
『知的トレーニングの技術』は、
1冊の本から知が広がる仕組みになっている。
引用された原書に触れる楽しみが満載である。
本書を通じて、南方熊楠や幸田露伴を追っかけることになった。
おかげで現代日本文学を読む量が激減してしまったほどだ。
――世界中の古今の書物から自在に引用して
<ミスター・クマグスこそウォーキング・ディクショナリー
(生き字引き)だ>とロンドンに集まった学者たちを驚かせた、
南方熊楠の博引旁証は、
この終生つづけた書写術のトレーニングのたまものだったのだ。
さすがの柳田国男も、
「我が南方先生ばかりは、どこの隅を尋ねて見ても、
これだけが世間なみといふものが、
ちょっと捜し出せさうにもないのである(後略)」
と驚嘆している。(本文P167より)
前記のような記述から、
私は「南方熊楠」「柳田国男」を学ぶことになる。
するとそれは「宮本常一」にまで広がり、
「民俗学」へとたどり着く。
ふと気が付くと、「梅棹忠夫」や「西堀栄三郎」にまで
行き着いているのである。 私は営業リーダー研修を生業にしている。
そこで使うテキストの骨格は、花村太郎から学んだものだ。
探し出してでも読んでもらいたい本、
それが花村太郎『知的トレーニングの技術』なのである。

