2011年05月24日

(205)花村太郎『知的トレーニングの技術』

205)花村太郎『知的トレーニングの技術』

JICC
 
(1)  花村太郎ノート 

1947年生れ。早稲田大学、都立大学大学院卒業。
言語学・記号論をひとつの極に、経済学を他方の極において
社会・文化・思想の世界と人生のあらゆる事象を
「読む」ことを知的課題としている。


・主な著作は次のとおりである。
1982年『知的トレーニングの技術』(JICC
1998年『思考のための文章読本』(ちくま新書)
2006年『嫌老社会』(ソフトバンク新書) 

(2)いちばんお世話になっている本

 生涯でいちばんお世話になっている本である。
なぜこれまで紹介しなかったかというと、
「文庫で読む
400+α」の文庫定義に該当しないからだ。

花村太郎『知的トレーニングの技術』は、
三省堂『新明解国語辞典』などと並べて、
いつも目の前においてある。

本書が書評で取り上げる新書・文庫版になってくれることを
願いながら、ひたすら年を重ねてしまった。
 
私の著作(山本藤光という筆名)では、
何度も紹介させてもらっている。

セミナーの講演でも、本書はスライドで紹介させてもらっている。
対象版型ではないので、おきて破りなのだけれど紹介することにした。
どこの出版社も軽装版に踏み切ってくれないから、

拙文でアピールをかねることにする。
 花村太郎『知的トレーニングの技術』は、書店にはない。
古書店でもなかなか見当たらないし、
アマゾンの古書コーナーでも高値がついている。

そんな本を紹介するのは恐縮なのだが、
どうしても書いてみたくなった。
 
花村太郎に関する情報も、とんと見当たらない。
ネット検索すると同名の人が出てくる。
おそらく本人ではないだろうと思う。

私が知っている限り、花村太郎は筆名で、
本名は長沼行太郎。都立高校の国語の先生をしながら、
近代文学、文章論、メディア論の研究を重ねた。
 
花村太郎の名前では、
『知的トレーニングの技術』しか見当たらない。
本名の長沼行太郎では、前記の著作を上梓している。

ただしテーマが限定されているので、
『知的トレーニングの技術』ほどのインパクトはない。
 『知的トレーニングの技術』は、「
志を立てる」「人生を設計」するからはじまり、
「読み・書き・考える」技術に触れている。
冒頭の部分を紹介しよう。

 ――情報のメモ魔・整理魔になってデータの山にうずもれ、
しまいには何のための情報整理かわからなくなってしまう
――知的ノウハウの最大の弊害がこれで、
はっきりいってこれは、情報整理ごっこでしかない。
永遠に準備体操をつづけるようなものだ。
たとえば、コンマ1ですむデータに、
コンマ3までの情報を求めることは無駄である。
この計算に要した時間はまったくの空費だ。
(イントロダクションより)

 本書は赤線にまみれている。
もう何度も読み、そのつど感動を新たにしている。
『知的トレーニングの技術』は、
1冊の本から知が広がる仕組みになっている。
引用された原書に触れる楽しみが満載である。

本書を通じて、南方熊楠や幸田露伴を追っかけることになった。
おかげで現代日本文学を読む量が激減してしまったほどだ。
 

――世界中の古今の書物から自在に引用して
<ミスター・クマグスこそウォーキング・ディクショナリー
(生き字引き)だ>とロンドンに集まった学者たちを驚かせた、
南方熊楠の博引旁証は、
この終生つづけた書写術のトレーニングのたまものだったのだ。
さすがの柳田国男も、
「我が南方先生ばかりは、どこの隅を尋ねて見ても、
これだけが世間なみといふものが、
ちょっと捜し出せさうにもないのである(後略)」
と驚嘆している。(本文P
167より)
 

前記のような記述から、
私は「南方熊楠」「柳田国男」を学ぶことになる。
するとそれは「宮本常一」にまで広がり、
「民俗学」へとたどり着く。

ふと気が付くと、「梅棹忠夫」や「西堀栄三郎」にまで
行き着いているのである。
 私は営業リーダー研修を生業にしている。
そこで使うテキストの骨格は、花村太郎から学んだものだ。

探し出してでも読んでもらいたい本、
それが花村太郎『知的トレーニングの技術』なのである。
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2011年05月17日

(204)東川篤哉『密室の鍵 貸します』

204)東川篤哉『密室の鍵 貸します』

(光文社文庫) 

(1)東川篤哉(ひがしかわ・とくや)ノート 

1968年広島県尾道市生まれ。
岡山大学法学部卒。
サラリーマンをしていたが
26歳で退職し、
アルバイトの貧困生活に入る。


・主な作品は次のとおりである。
2002年『密室の鍵 貸します』(光文社文庫)
2002年『密室に向かって撃て』(光文社文庫)
2005年『館島』(創元推理文庫)
2010年『謎解きはディナーのあとで』(小学館、文庫なし) 

(2)ユーモラスでコミカル 

久しぶりに、「密室」ものがフレークした。
東川篤哉『密室の鍵 貸します』(光文社文庫)が世に出たのは、
10年ほど前である。

発表当時は話題にもならなかった。
本作が文庫化されてからでも、すでに5年を経ている。
 
東川篤哉がブレイクしたのは、2010年の『謎解きはディナーのあとで』
(小学館)が「本屋大賞」を受賞してからである。

全国の本屋がこぞってキャンペーンを張っている。
売れるのは当然であろう。
本屋さんがいちばん売りたい本を選ぶこの試みは、
回を重ねるたびに盛り上がりをみせている。

「当店の推薦」などという幟(のぼり)でも立ててくれれば、
発表までの間もにぎやかになると思うのだが。

 東川篤哉は1996年から2002年まで、
「本格推理」(のちに「新本格推理」と改称)に短編を掲載していた。
この当時は、東篤哉というペンネームであった。
 以前から、ユーモアあふれる本格派としての評価は高かった。

東川篤哉をはじめて読む方には、
作品発表年次をたどるように勧めている。
東川篤哉は、確実に階段を上がっている。
そうすることにより、読者は著者の成長と伴奏することができる。
 

『密室の鍵 貸します』の舞台は、千葉の東・埼玉の西にある
架空の都市・烏賊川市である。
この地名は、声に出して読んでもらいたい。
なんともユニークな命名ではないか。
主人公の戸村流平は烏賊川市立大学四年生、映画学科に在籍している。
 
本書の登場人物は極めて少ない。

私立探偵の元義兄・鵜飼杜夫、砂川警部と部下の志木刑事。
そして殺害される元恋人・紺野由紀と先輩・茂呂耕作。
これらの登場人物を「密室」に詰め込んで、
東川篤哉マジックは炸裂する。
 

文庫解説で、有栖川有栖は
「ユーモア本格ミステリーのエース」と絶賛している。
なるほど、文章の切れもいいし、伏線の張り方も巧みである。
この作品の受賞で、本屋大賞が本物になったようだ。
奥泉光『シューマンの指』(講談社)も捨てがたいのだけれど。
 

本格的密室ミステリーの代表格として、
鮎川哲也「赤い密室」(創元推理文庫「鮎川哲也短編傑作選U」所収)
や横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫)をあげる人は多い。

東川篤哉は、そんな本格派作品に甘味料を加えてみせた。
 
ストーリーは単純である。
元恋人が殺害され、マンションの四階から突き落とされる。
同じ夜、先輩も「密室」で殺害される。
流平は先輩の家で、殺害されている死体を発見する。
一晩に身近な二人が殺害されてしまう。
しかも先輩の死は、完全な「密室」でのできごとである。
 
流平は嫌疑をかけられるのを恐れて、
元義兄の私立探偵に助けを求める。

二つの死を追う警部と刑事。探偵と警察が、
「密室」という詰将棋に挑む。

「密室」ものは、書くのが難しい。
ほとんどの作品は、こじつけや偶然で片づけられている。
ところが『密室の鍵 貸します』には破たんがない。
 

(3)小峰元、赤川次郎、ウイングフィールド 

東川篤哉の路線の先達は、小峰元であろう。
小峰元は『アルキメデスは手を汚さない』(講談社文庫)
で第
19回江戸川乱歩賞(昭和48年度)を受賞している。
その後、一貫してコミカルな作品を発表し続けた。
 東川篤哉の一連の作品を読みながら、懐かしく小峰元を思い出した。

私の書棚には、
9冊の小峰作品が並んでいる。
おそらく東川篤哉も、同じようになると思われる。
断言できるが、しばらくは追いかけてみたい作家なのである。
 私は東川篤哉作品を、小峰元と並べて
「コミカル」「ユーモラス」と書いた。
ただし文体は大いに異なる。

東川篤哉は、翻訳ミステリーの影響を大きく受けているのだろう。
作品のなかに著者が登場するスタイルは、私の好みでもある。

 ――いずれにしても、物語においてたびたび移動を繰り返す。
映画流にいえばカットバックということになるだろう。
ひょっとすると煩わしさを感じる人もいるかもしれないが、
ご勘弁を願いたい。(本文
P26より)

 ――繰り返しの多いこの物語にも、
どうやら決着の時が近づいていることを、
すでに勘のいい読者のみなさんならば感じ取っているはずである。
もろん勘の悪い読者だとしても残り頁の少ないことから考えれば、
「ここからさらに死体が増えることはあるまい――」
というくらいの予想は立つだろう。
事実、そのとおりである。終りは近い。(本文
P238より)
 

読者との掛け合い。東川篤哉が楽しみながら、
作品を仕上げていることを彷彿とさせてくれる挿入である。

東川篤哉は「本屋大賞」の受賞インタビューで、
「高校生のころ、赤川次郎を読んで
ユーモアミステリーを身近に感じた」(朝日新聞
2011.4.26)と語っている。

そして、「ユーモアミステリーは他にあまり書いている人がいなかった。
僕一人ぐらい需要はある」と考えたと語っている。
 東川篤哉の見込み通りやがて、
赤川次郎、小峰元、東川篤哉を
一つのくくりとして語られるときがくるだろう。

東川篤哉は、ウイングフィールドのフロストシリーズ
(『クリスマスのフロスト』創元推理文庫、「文庫で読む400+α」で紹介済み)
の域まで達する可能性を秘めている。
 お勧め。くれぐれも本屋大賞受賞作から、
手を出すことのないように。
まずは『密室の鍵 貸します』を読んでもらいたい。
それから先については、あなたの自由である。

標茶六三:2011/05/17
posted by しるべちゃ・ろくぞう at 05:23| Comment(0) | 文庫 名作文学 ガイド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

(203)海堂尊『極北クレイマー』

203)海堂尊『極北クレイマー』

(朝日文庫、上下巻) 

(1)海堂尊(かいどう・とおる)ノート
 

1961年千葉県生まれ。千葉大学医学部卒業。
・主な作品は次の通りである。
2005年『チーム・バチスタの栄光(上下)』(宝島文庫→「文庫で読む400+α」で紹介済み)2006年『ナイチンゲールの沈黙(上下)』(宝島文庫)
2006年『螺細迷宮(上下)』(角川文庫)
2007年『ジェネラル・ルージュの凱旋』(宝島文庫)
2007年『ブラックペアン1988(上下)』(講談社文庫)
2008年『イノセント・ゲリラの祝祭(上下)』(宝島文庫)
2008年『ジーン・ワルツ』(新潮文庫)
2009年『極北クレイマー(上下)』(朝日文庫) 

(2)フィクションがノンフィクションに 

本書は単行本で読んで、番外編として「文庫で読む400+α」(201045日)
で取り上げている。今回文庫化されたので改めて読み直してみた。

 海堂尊は『チーム・バチスタの栄光』(宝島文庫)でデビューした。
この作品は「このミステリーがすごい」で大賞を受賞しており、
輝かしい文壇デビューとなった。
その後『ナイチンゲールの沈黙』や『ジェネラル・ルージュの凱旋』(ともに宝島文庫)で、
医療ミステリーのジャンルを驀進している。
 『極北クレイマー』は、財政破綻した北海道夕張市で孤軍奮闘する医師がモデルとされている。文庫版ではその病院の理事長(村上智彦氏)が、解説を書いていた。
 海堂尊は、『極北クレイマー』を完全なフィクションであると断言している。
しかし村上智彦氏は「フィクションがノンフィクションになっている」
と驚いている(文庫解説より)。
 

私は若いころMR(医薬情報担当者)として、夕張病院に何度も足を運んでいる。
地方の病院事情は熟知している。
したがって人間模様については、「そうだよな」「あり得る」と思いながら読んだ。
 ところが本書を読みはじめて、舞台設定に違和感を覚えた。
主人公・今中が降り立つのは、「単線の終着駅」であり
「極北市」というひっそりとしたところである。
このイメージは、夕張というよりも稚内である。
隣の市のなまえが「雪見市」(北見市らしい)という記述をみて、
なおさら稚内のイメージが固定した。
 

ところがこの像が崩壊してしまう。
極北市から札幌までは、車で1時間ほどという記述に遭遇したのだ。私は作品の舞台を札幌から、車で1時間圏内の財政破綻した都市におきなおす。
やっぱり夕張が舞台だったのか、とイメージを修復することになる。
 
つまり登場人物も舞台も、すべてが海堂尊のつくりものである。

海堂尊はわずかな取材で、本書を書きあげている。
すでに出来上がっていたものがたりを、夕張まで確認に出かけた。
夕張でインタビューをしながら、海堂尊は自分の夕張を確立してしまったのである。
 

海堂尊は稀有なエンターテインメント作家である。
だから病院の実態とのかい離や舞台の非現実には、目をつぶらなければならない。
 

(3)海堂尊の曲がり角 

ものがたりは、外科医・今中が無人駅・極北市に降り立つところからはじまる。
駅頭にはヒグマの剥製と、場違いなほど瀟洒なホテルがあるだけ。
ほかには雪が多くなると使用できなくなるスキー場や、
客を乗せないまま不機嫌に回りつづける観覧車。「極北市には赤星5つの施設がある」と書かれているが、今中が向かおうとしている市民病院もそのなかの1つである。赤星とは、無駄な散財という意味である。
 

病院は、経営に無頓着な病院長、護身だけを考えている事務長、
やる気のない研修医、意欲のカケラもない薬剤師、看護師の巣窟だった。
そのなかで唯一、まっとうな医療を実施しているのが産婦人科の三枝先生。
彼は最後に医療事故で、逮捕までされてしまう。
 

ここまではわかりやすいものがたりである。
この作品はとてつもなく個性の希薄なたくさんの人物が登場する。
全員が画一的である。帰属意識のみで行動する単細胞が、
さまざまな思惑とともに作品内を行脚する。
 

不用品がどっさりと詰まった安直な福袋みたいに、
ため息がでるほど無意味な面々がものがたりに押し込められている。
後半は海堂尊の遊びが強すぎて、わけがわからなくなった。
皮膚科の美人医師があらわれたと思うと、いつの間にか消えてしまっている。
 

デビュー作以降の作品のなかで、『極北クレイマー』は異質な世界である。
赤鼻の加藤課長がくりかえす「……のっす」という会話は北海道弁ではない。
耳障りで仕方がなかった。看護師も医師にあんな話し方はしない。
やる気のない後藤研修医が、実は極北市長の息子だった。
ご都合主義の展開に目をつむり、
破たんしかけている地方の病院を舞台に選んだことは評価したい。
 

国の行政、医局制度、破綻する地方経済、病院勤務者、医療を食い物にする輩。
福袋のなかみを全部あけてみて、まるで吐しゃ物の羅列だと思った。
残念ながら「プロジェクトX」のような展開を期待していただけに、
肩透かしをくらってしまった。
 

『極北クレイマー』には、こどもがでてこない。市民の姿も描写されていない。
作品中に登場する1万円のインスタントラーメンのように、異様な世界のものがたりである。
 海堂尊はどこへ行こうとしているのか。
『極北クレイマー』は一連の海堂尊作品とは違う。
ハラハラドキドキを期待して読むと、私のように白けてしまうことだろう。
posted by しるべちゃ・ろくぞう at 10:01| Comment(0) | 文庫 名作文学 ガイド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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